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ぞうブロ

エンジニアの葛藤、好きなことまとめ、妄想

麻原彰晃とオウム真理教幹部の死刑執行で思い出したバレンタインのトラウマ。

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7月6日。久々の関東出張。行き先は茨城の山奥だ。

でもあいにくの大雨で、大阪のJR、南海など電車が軒並みフリーズ。
元気に稼働してた御堂筋線の駅まで嫁さんに運んでもらい、どうにかこうにか新幹線に乗り込んだ。
連日のワールドカップ観戦で睡眠不足だった老体は、既に疲労困憊だ。
 
この前の大阪北部地震、私はチャリ通勤でそれほど被害がなかったけど、
あのとき巻き込まれた人たちは、さぞ大変だっただろうなぁと改めて感じる。

 

そんな思いで乗り込んだ新幹線。東京までの数時間は、爆睡しよう。
でも重度のスマホ依存、ツイッター依存に陥った私は、なかなか眠りにつくことができない。下らない呟きを吐き散らしながら、ポコポコに興じていた。
 
ようやく眠気がきた。少し眠れる。
ウトウトしたとき、携帯がブルった。
何かの災害か?上司からの電話か?
ビビって起きると、そこには号外のニュースが。
 
 
【号外】松本智津夫死刑囚の死刑執行
 
 
ようやくか。
あの地下鉄サリン事件から23年。死刑が確定してから11年。とうとうポアされたか。ポアって言葉、久々に思い出した。
 
それにしても時間がかかりすぎだよなぁ。でも、一つの節目だ。残りの幹部たちもさっさと執行よろしくお願いします。
すると、続報が。
残党が追加でまとめて6人ポアされたらしい。
 
というか、せっかく寝れたのに起こさないでくれよ。死んでまで人に迷惑をかけないでくれ。。
 
 
眠れなくなった私は、モヤモヤしながら、当時のことを思い出し始めた。
 
地下鉄サリン事件が起こった1995年。
私は中学生だった。阪神大震災と同じ年だから、よく覚えている。
衝撃的な大事件は、ニュースにとどまらず、私の身にも起こっていた。
中3にして、初めて彼女ができたのだ。
同じクラスの、スピッツが好きな無口な子。一緒に帰るだけの仲だった。
今と違い私も無口だったので、無言でただ歩いて帰る、そんな関係だった。
 
ある日、私は意を決して彼女に伝えた。
手を繋ごうと。
彼女は困惑し、苦笑いでお茶を濁された。
 
それから徐々に一緒に帰る回数は減り、やがて会うこともなくなった。
 
それでも一縷の望みをかけたバレンタイン。もしかしたら。奇跡を期待し、下駄箱を開けた。
そこには自分のクサイ上履き以外、何もなかった。
私は諦めなかった。
机の奥。ロッカーの中。そんなところにいるはずもないのに。放課後。予定もないのに私は学校に残っていた。来るはずもない彼女を待つためだ。彼女は笑顔で友達とそそくさと帰っていた。
 
後日彼女の友人が、笑いながら教えてくれた。
「あんた、彼女に手を繋ごうって言ったんやろ?あれホンマ気持ち悪かったって言うてたで、キャハハハ」
 
そうなんや、ははは、、
と乾いた笑い声をあげながら、私は心に誓った。
 
ちくしょう。モテてやる。
 
バレンタインには毎年軽トラ3杯分のチョコレートが送られて、職場には専用のチョコ保管庫が設置され長蛇の列ができ、和歌山の実家は神格化され縁結びの神社と化し、リタイアした親父が副業でバイト神主デビューし、参拝客がひっきりなしに訪れるくらいに。
 
大人になった今では、痛いほど分かる。
彼女は、私のそういう気持ち悪いところが、死ぬほど嫌だったんだろう。
私が女性でも間違いなく嫌だ。彼女のトラウマになってない事を舌を出して祈るしかない。
 
あれ以来、バレンタインは嫌いだ。
 
あれから23年。彼女は元気にしてるだろうか。
大学生になったとき、みんなで何度か会った。
お互い普通に話はできるようになってた。その後のことは知らない。
たしか結婚して、関東で暮らしてるって、風の噂で聞いたな。
 
 
ちくしょう、眠れない上に余計なことまで思い出してしまったじゃないか。
許せんぞ麻原彰晃とその一味。オウム真理教。ポアしてやる。ってもう、されましたね。
 
 
23年はあまりにも長い。でも、オウム真理教の一連の事件の被害者の苦しみは、癒えることはないだろう。たとえ麻原彰晃たちが死刑執行されてもだ。本当に、罪深い。寝不足な上に、複雑な気持ちになった。
 
気がつくと、花の都・大東京に着いた。
眠いしサボりたいけど、まだまだ先の茨城の山奥まで、仕事に向かう。
 
あれから23年、私もまがいなりに大人になったのだ。
モテたい気持ちは、まだ失っていないし、相変わらずモテてないけど。

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