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理系の悩み、エンジニアの葛藤、好きなことまとめ、妄想

子供が産まれました。陣痛から出産まで、34時間の全記録。

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2017年12月18日、12:03。

34時間の壮絶な出産を経て、待望の第一子が、母子ともに元気で健康に、

産まれてきてくれました。 

激動と感動のこの日を忘れないために、ドキュメント風に書いてみました。長文です。

 

始まりの前。

私は37歳。嫁さんももうすぐ37歳。

いわゆる高齢出産で、しかも初産だ。

予定日の12月21日に備え、嫁さんは実家の岐阜に帰っていた。

私は、束の間の独身生活を謳歌する間もなく、深夜残業と休日出勤に忙殺され、奈良マラソンを完走していた。

 

いつ嫁さんに呼び出されるか分からないので、忘年会の甘いお誘いをすべて断って禁酒しながら、大阪の我が家で、一人コーヒー牛乳を飲み、ポテチを貪りながら、ネットサーフィンをやっていた。

12月15日(金)

夜。嫁さんが出血があったということで入院。

いわゆる「おしるし」だそうで、陣痛はまだ。

当然、全然普通に話もできた。

12月16日(土)

休日出勤をこなしたあと、私は家で、コーヒー牛乳を飲みながら、ネットサーフィンをしていた。

22:00 

「たまに陣痛が来る」と嫁からLINE。

「いよいよか」と、緊張が走る。うっかり飲んでなくてよかった。

でもまだ陣痛の間隔は10分以上で、全然耐えられる痛みだそうだ。

「よしこい!」「明日には産む!」

と、嫁も気合十分だ。

23:00 

「痛い陣痛がきた、、」

「助産師さんに聞いたらまだ前駆陣痛だって、、」

 

「また、きた、、痛いよぉ~」

「耐える!」「ありがとう、踏ん張るんだ!」

 

陣痛の間隔を測るアプリもあるらしい。

便利な世の中になったもんだ。

間隔が10分を切らないとダメだとか。

初産だし、まだまだ長丁場になるだろう。

 

12月17日(日)

0:17。

「痛いんだ…」

「明日来てもらわないといけないかもだから、ゆっくり寝といてね」

そう言われたものの、気になって眠れるわけがない。

定期的に連絡してみる。

3:35。

 

「痛いよ…」

「3時からまた心拍の検査してるよ」

「ちょっと辛いんだ、、zohbeyは寝てね」

 

5:52。

「10分間隔になってきて、さっき陣痛室に移動したよ」

「初産はまだこれから長いかもだけど、朝くらいに準備してこっちにむかってもらってもよいかい?」

…いよいよきたか。

 

「慌てなくていいから安全運転で来てね」

私ははやる気持ちを必死に抑え、準備やらなんやらをすませ、眠気眼をこすりながら車に飛び乗った。

 

今日は、忘れられない、長い長い一日になるだろう。

その予感は、半分は当たり、半分は外れた。

一日では終わらなかったからだ。

 

大阪から愛知県の病院までは、車で3時間くらい。

事故らないよう、慎重にゆっくり来た。

途中、初雪が降ってきた。

こんなときに初雪か。

私は妙な感慨にふけった。

 

9:20。

病院に到着。

陣痛室は、畳の個室だった。

パジャマの嫁がしんどそうに寝ていた。

私を見ると、嫁の目から涙が溢れた。

さぞ不安だっただろう。

 

どうやら10分前後おきに、陣痛がきているようだ。

言われる通り、テニスボールで腰や尻をマッサージする。

嫁は痛そうだが、助産師さんは落ち着いた様子だ。

まだまだだと言わんばかりに。

その意味が痛いほど分かったのは、翌日だった。

 

13:00。

病院の油っけのない飯、しんどい陣痛で、「かつ丼が食べたい」という嫁。

そんな中、私は昼飯を食べることに。

病院にはレストランがあり、おいしそうなカツカレーがあった。

 

私は一瞬で心奪われたが、かつ丼を食べたくても食べられない嫁にばれたら、きっと末代まで恨まれるだろう。

しかし、私はいともあっさりと、食欲に負けた。

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笑顔でカツカレーをぺろりと完食。

カレーの匂いを消すため、口周りを念入りにふき取り、嫁のもとへ。

「何食べた?」「あ、ああ、カレー」

「カツカレーじゃないよね?」「お、おう。普通のカレー」

 

14:30。

腰をさすりながらたわいのない会話をしていると、突然嫁が言った。

「ねぇ、本当にカツカレーじゃないの?」

私は観念した。

「ごめんよぅ、本当はカツカレーを食べたんだ、、、」

嫁は呆れて許してくれた。

これがあと半日遅ければ、今頃私は、二度とカツの食べられない体にされるか、文字通り豚カツにされていただろう。

 

20:00。

陣痛が一進一退のまま、面会時間が終了。

私は一旦、嫁の実家で泊まらせてもらい、待機することに。

「疲れとると思うから、お風呂入ってゆっくり休んでね」

「すぐ寝させるように両親にも言っといたから」

気遣いを見せたり、スタンプを送ったりと、陣痛が来てるとはいえ、まだ嫁には余裕があった。

「朝までに産まれないかなあ」

「赤ちゃんを説得しとく!痛いけど、陣痛きてほしいから耐えるんだ!」

 

21:00。

私は嫁の実家に到着。

ご両親は気を遣ってくれ、嫁が言ってた通りにしてくれた。

心配だろうに、こういうときの気遣いは、本当にありがたい。

風呂に入り、布団に入ったが、全然眠れない。

2階からも絶えずゴソゴソ物音がする。

きっとご両親も、同じ想いなのだろう。

 

自分の母親とも、今日の様子を話した。

「口がきけるうちは、まだまだやな。口がきけなくなってからが、はじまりや」

まるで、某北の国が裏切り者を拷問するかのような口ぶりだ。

出産の痛みはどんなもんなんや?と聞くと、母は言った。

「下痢の100倍痛い」

 

嫁からLINEだ。

「痛くてねれないんだ」

「もうすぐまた検診」

「陣痛どんとこい!」

「頑張るんだ」

 

目が冴えて眠れないというと、

「寝てな!何かあればすぐ出動だから笑」

そう言ってから、しばらく連絡がなくなった。

私は1時間おきに目を覚ましたが、何も連絡がなかった。

 

後で聞くと、私が帰ってから陣痛がひどくなり、でもできる限り我慢しなさいと助産師さんに言われ、夜中一人でずっと我慢してたそうだ。

しかしその時は、そんなことを知る由もなかった。

仕事の山場を迎えていた私は、このまま陣痛がこず何もなければ、4時に起きて、大阪の会社へ出勤しようと考えていた。

 

12月18日(月)

3:52。

私は嫁からのLINEで目を覚ました。

「陣痛室に移動した」

「痛すぎ」

明らかに、様子が違う。

ついにきたか。

今すぐ向かった方がいいよね?と聞いたときの嫁の返事は忘れられない。

 

「死ぬ」

 

「まだすぐじゃないかもだけど よろしくお願いします」

 

私は飛び起き、車に飛び乗った。

「今すぐ向かうから、頑張るんだよ」

メッセージは既読にならなかった。

それだけで、想像を絶する痛みと戦っている嫁の姿が想像できた。

LINEのやり取りは、ここで終わった。

 

4:00。

病院までは30分ほど。

安全運転でぶっとばす!

と意気込んだ次の瞬間。アラートが鳴った。

「ガソリンがなくなりました」

Emptyだ。昨日焦ってて給油を忘れた。私は顔面蒼白になった。

午前四時に田舎で空いているガソリンスタンドなんてない。 

iphoneのsiriに叫ぶ。

「近くの24時間のガソリンスタンドぉ!!」

Siriは無常にも、40km以上遠くの見知らぬ街のガソリンスタンドを表示した。

 

病院までは10数キロ。

車の燃料は、Emptyになっても数Lは残ってると、聞いたことがある。

しかし、もし万が一途中で車が止まったら。

一瞬、先週完走した奈良マラソンを思い出した。

「あと10kmくらいなら、走れば1時間だ」

そう思いながら、JAFの電話番号を確認し、燃料温存のため車のエアコンや音楽などを全て切り、

極寒の中、私は車のハンドルをさすりながら祈り続けた。

「頼む。もってくれ!」

 

嫁から譲り受けた愛車アウトランダーは、最後の力を振り絞ってくれた。

病院まで残り1km。ガソリンスタンド発見。助かった。

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そのときのレシートだ。

このときのドライブは、たぶん一生忘れないだろう。

 

4:45。

病院到着。

陣痛室には、もはや口をきくこともできず、点滴を打たれ、

苦悶の表情を浮かべる嫁の姿があった。

これが始まりか。ていうか、まだ始まってなかったのか。

痛みでずっと寝られてない嫁は、定期的に、苦しそうに、うめき続ける。

「痛い~…」「痛いよぉ~…」

私にできるのは、一生懸命、冷静に、嫁を励まし、腰をさすることだけだった。

可哀想で、見ていられなかった。

何度かナースコールをした。

まだ開いてきてないから、まだ3cmくらいだから、とか言いながら、助産師さんは言った。

「痛くてしんどいね。でも、親子三人でいるところを想像して、頑張りましょう!」

その言葉に、私までウルっときた。

 

5:30。

そういや今日、会社だった。

打合せやらなんやらがたくさんある。主担当として、量産遅れ対応もしなければ。

でも、こんな状態で行けるわけない。

会社は私がいなくても回るが、こんなときにまで働けという会社なら、そんなものはすぐにでも辞めてやる。

上司は理解ある人で、

「今日は無理でしょ、休んで奥さんと一緒にいてあげなさい。奥さんと子供さんの無事を祈っています」

とメールしてくれた。

私は腰をさすりながら、上司や関係者に、片っ端から、ごめんなさい今日休みますメールをした。

義理のご両親、自分の両親にもメールをした。

 

7:30。

嫁は変わらず、苦悶の表情。

「早く出したい…」弱々しく呟く。

子宮口が全て開いたらしい。

いよいよ分娩室に移動だ。

嫁が入り、準備した後、私が入る。

オルゴールの優しい音楽が流れてきた。

これが分娩室か、、、などと感慨にふける余裕など全くない。

分娩台に横たわり、見たことのないほど苦しそうにしている嫁を見るだけで、私は涙をこらえるのに必死だった。

もういい。もうよくやった、十分だ。

無事に、そして一刻も早く、産まれてくれ。

 

8:30頃。

破水がまだだったので、人工的に破水させる。

 

9:00頃。

陣痛促進剤を点滴から打つ。

同意書を説明されたが、内容が頭に入ってこない。

腰をさすりながら、名前を書きなぐる。

促進剤の量を、徐々に増やしていく。

 

嫁の苦しみ悶える声は、どんどん大きくなっていく。

信じられないほどの力で、私の手を握る。

左の握力が9しかないと笑っていた嫁の姿はどこにもない。

手が痛くなるほどの、凄まじい力だ。

額には血管が浮き出、汗でびっしょりだ。

 

想像を絶する痛みに悶え苦しみながら、

「…まだですか…?」「…出ないですか…?」

そう聞く嫁の姿が痛々しくて、見ていられない。

しかし、私にできることは、冷静に、そして一生懸命、嫁を励ますことだけだ。

その仕事に、全力投球する。

 

よくネットなどでは、出産のとき、激痛のあまり、嫁の人格が崩壊すると書いてあった。

「(さする場所が)そこじゃない!」などはよく聞くし、ひどいときには「違う!痛い!〇すぞ!」なども。

それで嫁の痛みが少しでもまぎれるなら、旦那としてはむしろ全然ありがたい、もっと言えと、男なら誰もが思うだろう。

 

しかし、あれだけ苦しみながらも、嫁はそんなことを一言も言わなかった。

後で聞くと、痛すぎてそんなことを言う余裕もなかったとのことだけど、

それは本当に尊敬できるし、健気に激痛に耐え続ける嫁が、余計に可哀想になった。

 

11:00。

助産師さん看護師さんの数が、一気に増え、慌ただしくなった。

あの優しい音楽が、また流れ出した。

分娩台が上がった。

もう少しで、ゴールなのか。

思わず、涙がこぼれた。

 

しかし、まだ終わっていない。

最後まで、気を抜いてはいけない。

変わらず、励まし続けた。

陣痛促進剤の量が増えていく。

赤ちゃんの心拍が弱くなったのだろう、嫁の鼻には、酸素を吸う管が入れられた。

助産師さんたちが必死で色々やっていたが、何をしてるか、分からなかった。

 

「...まだ...出ないですか...?」

弱々しく尋ねる嫁。

「もう少しです!もう頭が見えてますよ!」

と助産師さんが言った。

 

「いい感じです!上手上手!」

「あと2回!あと2回ですよ!」

助産師さんが言った。

 

そして、ついに。

12:03。

頭が見えた。髪の毛がある。

全身が見えた。

泣き声が聞こえた。

おめでとうございますの声。

母子ともに健康、無事とのことだ。

 

嫁さん、そして赤ちゃん。

本当に本当に、よく頑張ったな。

その姿を見た時、私は、涙をこらえることができなかった。

 

助産師さん、看護師さん、お医者さんが、本当に神様に思えた。

感謝と感動と安堵で、胸がいっぱいだった。

 

へその緒を切る儀式を、私がやるらしい。

私は本当にテンパった。嫁がオプションに入れてたらしい。

ハサミを持つ手が震えた。

本当に心臓に悪いサプライズだった。

 

2760g、51cmの元気な男の子だった。

元気すぎて、いきなり助産師さんにおしっこをぶっかけてしまった。

全く誰に似たのだろうか。

 

34時間にわたる、壮絶な出産だった。

壮絶という言葉は、このときのためにあるのだと思った。

 

出産後。

産まれて間もない我が子は、小さい身体で元気に泣いている。

命がけの大仕事を成し遂げたばかりの嫁さんは、後処理をされながら、我が子を見守っている。

私は、胸をなでおろしながら、感慨にふけった。

 

そんなとき、ふと携帯が鳴った。

上司からメールだ。

「産まれましたか?おめでとう。ところで、開発日程をメンテしたいのですが、元データの場所は分かりますか?」

続いて、アシスタントの爺さんだ。

「おめでとうございます。ところで、あれの公差っていくらですか?

あれとあれの品番を教えてください。あれは手配しましたか?

あれは?あれは?ねぇねぇねぇ!」

 

まさかずっと見てたのか?

全く素晴らしいタイミングだ。

おかげで、最初に無事産まれたという報告をした相手は、親でも友人でもなく、会社の上司と爺さんになってしまった。

その後、両親、義理の両親に報告。

 

FacebookやLINEで友人に報告。

「zohbeyが父親なんて信じられん」

「(子供を抱く私の写真を見て)一世一代のギャグやな。面白すぎて正視できん」

「何かの間違いやろ」

と、数々の温かい言葉を頂いた。

 

Instgramは嫁もしているので、嫁の検閲を受けてから載せるとして、

Twitterでも報告。

Twitterはもともと、「ブログのアクセスUPに使えればなー」という集客装置くらいにしか思っていなかった。

匿名でリアル知り合いがいないのをいいことに、好き勝手に偉そうに呟きまくる、立派なTwitter民になっていた。

 

そんな中、とある変態ドラマーを通じて知り合った、会ったこともない人たちから、温かいいいねやコメントを頂いた。

見ず知らずのめんどくさいおじさんに、温かくして頂いて、本当に感謝している。

Twitterはもっと殺伐としてると思ってたが、全然違った。

ダイナ四バンドのファンのみんな、本当にありがとう。

いい意味で、類は友を呼ぶんだ。

会ったことはないが、本当に素敵な人たちだ。

私の会社とは大違い、、いや、やめておこう。

 

少し落ち着き、嫁さんに痛みのことを聞くと、

帰ってきた答えは、くしくも私の母と同じだった。

「下痢の100倍痛いよ」

 

それでも、産んだ直後から、けろっとしているように見えた。

本当にすごいと思った。同じ人間なのかと戦慄すらした。

私なら確実に、5%陣痛で、周りに当たり散らした挙句に死んでいる。

 

翌日。

大阪に戻り出勤。

丸二日ロクに寝てないので、体力は限界のはずだが、元気だ。

ちょっと照れくさいが、フロアに入った瞬間、チームのみんながおめでとう!と言ってくれた。

いつもは辛口の評価部隊の人たちからも、

「おめでとう!もう一生懸命仕事するしかないですよ!逃げられないよ!」

とキツイお祝いを頂いた。

机の上には、未検討の状態で私に投げつけられた図面が、山ほどおいてあった。

それすら祝電に見えた。

 

その中に、上司が引き直した開発日程表もあった。

私の予定は、12/30までずっと休み無しになっていた。

「いやまあ、対外的な資料だからね、ああならないように頑張ろうって意味で♪」

年末、事務所で1人、我が子をあやしながらCADに向き合う自分の姿が、一瞬脳裏をよぎった。

でも、不思議とネガディブな感情が湧かない。

よし、もう逃げられない。

肚を括ってやるしかない!

不思議な力が、体の奥から湧いてきた。

 

おわりに。出産に立ち会って。

私は運よく出産に立ち会うことができた。

女性が母になると強くなるというが、そりゃそうだなと、心から納得した。

男、少なくとも私には、絶対にできない。

あの34時間にわたる壮絶な出産に比べたら、私が奈良マラソンを5時間半もかかって呑気に完走したことなど、単なる中年豚のお遊戯だ。

あの経験をするくらいなら、死ぬまで働いた方がましだ。

今はどうか知らないが、その時は本気でそう思えた。

 

子供が産まれましたという報告なんて、全然珍しくもない、ごくごくありふれたものだ。

しかし、それがどれだけ大変で、偶然や必然がたくさん重なりあった結果の奇跡であることを、身に染みて痛感した。

 

嫁さん、本当にお疲れ様。

痛みに耐えて本当によく頑張った。感動した。ありがとう。

そして息子よ。良く頑張って狭い産道を通って産まれてきてくれたね。

ありがとう。これからもよろしく。

 

この先、育児や子育てで、色々な困難が待ち受けているだろう。

でも、行き詰まったら、この記事を自分で見返すようにしたい。

そう思って、長々書いてきました。

ここまで読んで下さった方々、本当にありがとうございました。

これからもよろしくお願いいたします。

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