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センター試験で思い出す受験生時代。三角関係の現役、抑鬱病の浪人、出会った受験の女神。受験生に捧げる言葉3つ。

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今日はいよいよ、センター試験だ。

私がセンター試験を受けたのは、かれこれ17,8年前だ。

あの頃私は、京大合格を目指す受験生だった。

現役と浪人で、二回受けたけど、今でも両方の点数をはっきり覚えている。

そして今でも、この季節になると、一度はあの時の夢を見る。

この際なので、人間関係や病気、そして進路に悩みながらも奮闘していた、

馬鹿で純粋でしんどく実り多かった2年間の受験生時代を、振り返ってみることにした。(長文です)

 

 

 

私の第一志望は、京都大学だった。

自由でカッコいいイメージがあったからだ。

それに、東大か京大に行けば一人暮らしをさせてやると、親に言われたからだ。

当時、センター試験は800点満点だった。

京大に挑戦するには、ざっくり85%以上が求められた。

 

現役時。三角関係で第一志望に落ちる。

模試では630~640だったが、秋から冬にかけ680~690くらい取れるときもあった。

二次試験の判定はA~Cだったので、鍵はセンター試験だった。

一刻も早く京大生になり、女子大生と合コンをするんだ。

そして、こんなかんじになるんだ。

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「10年でホリエモン抜けますよ」 ネオヒルズ族・与沢翼氏の正体 : ビジービジネス

ぼんやりした桃色の未来しか見えない私に、足元の綻びなど見えるはずがなかった。

 

その綻びは試験直前、一気に噴出する。

試験直前、祖父が亡くなり、三角関係で親友と絶縁し、変な女に付きまとわれ、

メンタルが弱かった私は、完全に自分を見失った。

今に至る偏頭痛も、この頃から患った。

 

三角関係について。ブリグリにかき回された馬鹿二人。

私には親友がいた。

もう一人を合わせた三人組でいつも一緒に、図書館で勉強していた。

その親友が、同じ図書館に来ていたある後輩の女の子を好きになった。

当時流行っていた「ブリリアントグリーン」のボーカル似だった。

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https://ameblo.jp/na-ken916/entry-11976823676.html

しかしその子は、私を好きになった。

私は結局、親友の気持ちを知りながら、その女の子に告白され、付き合った。

思い出すだけで恥ずかしくて死にたくなるような、クソみたいなベタなシチュエーションだ。

 

高3になって間もない頃だ。付き合ったのは2週間ほど。

手をつないだかも定かでなく、映画「タイタニック」を見にいった二日後に振られた。

私は緊張して女の子と話せなかったし、たまに話しても勉強ネタばかりだった。

なのでブリグリ的には大変につまらなかったらしい。

友人と仲直りするため、断髪式と称し、教室でみんなに頭をバリカンで刈ってもらったのはいい思い出だ。

 

でも秋ごろから、友人がきつく当たるようになってきた。

あの時お前に裏切られ傷ついたことを、俺は忘れない、許さないと。

彼は医学部志望で、事あるごとに俺は医者になると豪語していた。

彼の親戚は開業医で、成績は同じくらいだった。

志望校は違うが、ライバル関係だった。

そんな彼に、三角関係時代を、事あるごとに蒸し返され、過去のことをずっと責められてる気がしていた。

 

一生弱みを握られて、生きないといけないのか。

八方美人で嫌われるのが怖かった私は、彼が怖くてたまらなくなった。

今思うと、なんでこんなことで思い悩んでたんだと、呆れかえる話だ。

でも当時は本気で悩んでいた。

 

本番直前は、ほぼ毎日、無言電話が実家にかかってきた。

確たる証拠はなかったけど、当時の私には元友人の影が見えていた。

親にはもちろん話せず、当時ずいぶん心配をかけてしまったものだ。

 

センター本番。過去最低の得点。

本番の会場は、とある大学だった。

大一番だというのに、ふわふわして全然集中ができなかった。

試験会場で例の友人を見ただけで、心臓がバクバクした。

気持ちがばらばらで、試験を戦える状態ではなかった。

 

今でははっきりとわかる。

祖父のことはともかく、実力もない受験生が、

いっちょ前に女とか三角関係とか恋とか、やってるのがダメだったのだと。

受験の神様は、きちんと見ていたのだ。

 

試験翌日。

新聞に発表された答で自己採点。

そのときの衝撃と絶望は忘れない。

英語158/200、数1A63/100、数2B100/100、国語123/200、

物理80/100、化学86/100、世界史85/100。

合計615/800(76.9%)

 

過去最低の点数だった。

特に大事な国語で、致命的な失敗を犯した。

数1Aに至っては、必要条件と十分条件(だったかな?)を全部逆にしていた。理系失格だ。

第一志望のボーダーからは、マイナス11点。

センターで失敗した後の、約一か月後の二次試験までは、本当に憂鬱で苦しい時間だった。

 

敗色濃厚な戦い。

しかし、得点配分がセンター:2次試験=3:7で、二次試験の方が得意だったこともあり、

諦めきれず、二次試験での逆転を信じ突撃した。

 

しかし結局、第一志望の京大工学部には落ちた。

合計1000点中、合格最低点に9点届かなかった。

センターで落ちたのだ。

自分の実力不足と煩悩を棚に上げ、神様なんていないと嘆いた。 

 

浪人しますと報告するため、一人寂しく母校に向かった。

母校の門から、笑顔いっぱいの友人たちが出てきた。

みんな第一志望に受かっていることは、聞かなくても分かった。

その中に、三角関係でもめた元友人もいた。

彼もまた、無事医学部に受かっていた。

すれ違う際、彼らは私に気づいた。

でも、一瞥しただけで、誰ひとり、一言も声をかけてくれなかった。

 

その後、後で聞いたことだが、その時、元友人は、後輩のブスグリブリグリと付き合い始めていた。

 

念願のブリグリをゲットした医大生と、ブリグリに捨てられたドーテーの浪人生。

あまりに圧倒的な立場の差。

それを悔しい情けないと思えないほど、私はボロボロで、無だった。

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気をつけろ!”三角関係”に巻き込んでくる女子の特徴10パターン | オモコロ

 

浪人時。抑鬱病と葛藤を経て。

抑鬱病を発症し、女断ちを誓う。

京大には落ちたが、同志社と大阪府大は受かっていた。

でも、安っぽいプライドが許さず、どうしても行く気になれなかった。

私は親に頭を下げ、浪人を選び、京大に再挑戦するべく駿台に通うことにした。

偏頭痛がひどすぎて、無理やり心療内科に連れていかれると、「抑鬱病」だと診断された。

鬱なんてメンタルの弱い人間がなる甘えだ。

そう思っていた自分が、まさか鬱になるなんて。

ただただ、情けなかった。勉強にも気が入らなかった。

うつ病と抑うつ気分 | うつ病の情報・サポートサイト こころの陽だまり

 

抑鬱病でいちばん辛かったのは、頭に何も入ってこなくなることだ。

覚えられない。授業を聞いても、入ってこない。

覚えるという感覚がゼロになり、分からなくなった。

違和感を取るため、自分で何度も頭を殴りまくった。

脳まで調べてもらったが異常はなかった。

メンタルの問題だった。

そして、病院の先生に言われた。

一生、元には戻らない。

感覚をゼロから作り直し、病気とうまく付き合っていくしかないと

絶望した。

ブスグリはもはやどうでも良かったが、きっかけの一つだった元友人を恨んだ。

頭を元に戻してくれと。

 

否。

そもそもこんなことになったのは、自分の弱い心のせいだ。

とりわけ、性欲と妄想の塊だった私にとって、女性の存在はひどく心をかき乱した。

私は誓った。

浪人中は女性と話さない。

予備校で席が近かった女性二人とは、配布物のときとかだけ、少し話をした。

実際癒された。

しかしそれだけだった。

あと話したのは、クラス担任の先生、そして母親とばあちゃんだけだった。

鬱病だったので、実際そんな気も失せていた。

 

携帯が普及し始めた当時。

私は携帯はおろか、ピッチもポケベルも持っていなかった。

スマホ中毒の今からすれば、信じられないことだ。

その代わり、電車でも勉強できるようにと、

カバンに山ほど参考書や問題集、そして「北斗の拳」を入れていた。

煩悩を排し、修羅となり、真の哀しみを背負い、究極奥義・無想転生を得るためだ。

実際読むのは、北斗の拳だけだった。

 

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夏頃、模試を受けると、現役の時より成績が下がっていた。

私は猛烈に焦った。

このままでは、勉強を諦め、予備校の屋上で煙草を吸い、浪人どうしでいちゃつきながら親の脛を齧り続ける「吹き溜まり多浪」「う◯こ製造機」になってしまう。

 

ケツに火が付いた。

鬱病になって落ちましたなんて、誰も聞いてくれない。カッコ悪い言い訳だ。

頭で覚えるのがダメなら、手と口で体に叩き込む。

10回やって覚えられなければ、11回やる。

 

それからは、食事睡眠トイレ妄想以外、全て勉強した。

安定感を増すため、物理と化学をとにかく追い込んだ記憶だけはある。

友達とも少し距離を置いた。

その当時は、まだ人を信用していなかったからだ。

ライバルになれば、すぐ裏切られる。

その思いは消えなかった。

 

決して、お勧めできるやり方ではない。

でも当時は、それくらい自分を追い込んでいた。

私は今更ながら、肝に銘じた。

馴れ合いで傷を慰めあっていても、ダメだ。

試験会場では、誰も助けてくれない。

頼れるのは、自分しかいないんだ。

 

浪人時代ずっと、抑鬱病の治療のため、2週間に一回通院し、睡眠薬をもらっていた。

しかし、薬が自習室で効いてきてしまい、大いびきをかいて叩き出されたこともあった。

いつも迷彩柄のウィンドブレーカーを着た無表情な大男が、

バカでかいヘッドホンでX JAPANと相川七瀬を聴き、

一心不乱に、数学の問題を解きまくる。

挙句の果てに、いびきをかいて寝る。

こいつはやばいぞと、予備校で噂されていたかもしれない。

万が一女性にモテたらどうしようと思っていたが、無事杞憂に終わった。

 

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医学部への興味、進路への葛藤。

抑鬱病の経験から、医学部にも興味を持つようになった。

24時間絶え間なく襲ってくる、苦しい苦しい偏頭痛を、

なんとか解決したいとも思ったからだ。

実際、心療内科の先生に色々聞いたり、本屋で勉強したりした。

でも、元友人の件があったので、医学部には正直抵抗があったのも事実だ。

 

さすがに京大医学部は手が届かないので、京大ではなく、京都府立医科大を目指そうか。

本気で悩み、9月頃、腕試しに防衛医大に挑戦した。

模試ではE判定しか出なかったが、奇跡的に筆記試験に合格した。

私は自分でも驚いた。

前日速読英単語で覚えた単語、antibody(抗体)が出た幸運もあった。

でも、なんで受かったのか、今でも分からない。

お前は元友人のあいつを超えたんだぞ。

親父が珍しく興奮して言った。

真っ暗なトンネルの中にいたが、一筋の光が見えた気がした。

神様がご褒美をくれたとしか、思えなかった。

 

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11月。所沢の防衛医大での、体力測定、小論文、面接試験。

体力は問題ない。小論文は完璧にできた。

問題は面接だ。

なぜ医学部を志望したの?という問いの答えの準備で、私は悩みに悩んだ。

 

「自分は今抑鬱病なので、それを治したいからです」とは、正直に言えなかった。

心療内科でいつも見かける、同じような鬱病に苦しむ人を見ていて、

病気だけを医学部志望の理由にするのは、病気を利用しているようで、何か違うと思ったからだ。

病人が皆医学部を志望したら、この世は医者だらけになってしまうじゃないかと。

 

なので、

「自衛隊が将来紛争地域に派遣された時,前線で人を救えるような、幅広いスキルを持つ医者になりたい」

などと、全く訳の分からないことを言った。

「そんな風に海外に行くのはまれだよ」と、面接官に突っ込まれた。

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※よくわからんけど、こんなイメージでした。

軍事画像資料集:MEDIC! 衛生兵・軍医・医官

 

 

他にどこを志望しているかを、記入して言わないといけなかった。

私は悩んだ。無難に医学部を並べておくべきか。

それとも、自分が本当に行きたい、京大の医学部以外を書くのか。

 

悩んで親父にも相談した結果、私は正直に、京大工学部と書いた。

面接でなぜ医学部じゃないの?と聞かれたが、

「人工臓器や人工骨を創り出し、困っている人を助けたいからだ」

というような建前を言った。

 

人を救えるのは医者だけなんて、医者の傲慢だ。

どんな仕事でも、人を救うことはできる。そう思っていたからだ。

実際は、工学部で何をするのか、ぼんやりとしかわからなかったし、

本音は、憧れの京大に行って、一人暮らしをして、合コンしたいだけだったけど。

 

面接官に「君は結局、何でもいいんだね」と言われた。

ダメだ。完全に見抜かれた。落ちたと思った。

 

今なら、適当な建前を言えただろう。

でも当時は純粋すぎた。ていうか馬鹿だった。

医者を、どこか別格の尊い職業だと思っていた。

もちろん言うまでもなく、医者は大変で素晴らしくて尊敬できる仕事だ。

 

でも同時に思っていた。

医者だけが高尚なわけじゃない。

人間性やチームワークは、どんな仕事にでも求められる要素のはずだ。

医者以外の職業でも、人の役に立つし、人を救える。

逆に、医学部を志望する人も、聖人じゃなく、ヨコシマな理由があるだろう。

もちろん、他に医者になったナイスガイの友人もたくさんいる。

でも、元友人を思い出すと、どうしてもそういう風に思ってしまう自分がいた。

 結局は、元友人のせいで、医学部に対する過剰な意識があっただけだった。

 

センター試験1か月前。

修羅になったおかげで、二次試験の力はつき、京大模試では学部別で一桁順位を取れるほどになっていた。

でも、センター模試では相変わらず、630~680の間を行ったり来たり。

去年と同じ失敗をするわけにはいかない。

 

私は決めた。

とにかく過去問を解きまくろう。

信じられないことだが、現役の時、私は過去問をあまり解かず、

予備校や出版社の予想問題集ばかりやっていた。 

過去問は二度と出ないというのもあったが、

実際は、現実に向き合うのが、怖かったからだ。

 

しかし、それは誤りだった。

センター試験は、たくさんの偉い先生たちが、たくさんの時間や手間をかけて作られる。

単なる予想問題集とは違うのだ。

だから、過去問は絶対にやらないとダメだ。

これは、予備校の先生が言っていたことだ。

 

なので、入手できる過去問は全て解いた。

予想問題集もほとんどの予備校・出版社のやつを解いた。

不安を打ち消すために、解いて解いて解きまくった。

問題を見れば、どの予備校が過去問のどの問題を参考にして作ったものか分かるほどだった。

得意の数学では、20分弱で満点を取れるようになっていた。

それでも、700の壁は越えられなかった。

 

本番。リベンジ成功。しかし。

場所は、とある高校だった。

去年の弱い自分に勝つために、何より、気持ちで負けてはだめだ。

 

私は気合を入れた。

とっておきの迷彩柄のジャンパーと、ブカブカの黒いズボンを着た。

ジェルを馬鹿みたいに塗りたくり、北斗の拳の雑魚キャラかウニみたいに、短髪をおっ立てた。

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ガンガゼ - Wikipedia

いつもの馬鹿でかいヘッドホンでX JAPANと相川七瀬を聴き、ブツブツ独り言を呟き

自分を鼓舞しながら、単身会場に乗り込んだ。

 

今の時代なら、テロリスト認定されてもおかしくないだろう。

私の半径3m以内には、女性はおろか、人はいなかった。

周りの現役生たちは私を見て、絶対浪人したくないと思ってくれたかもしれない。

 

結果。

英語178/200、数1A96/100、数2B96/100、国語158/200、

物理73/100、化学80/100、世界史91/100。

合計700/800(87.5%)

模試でも取れなかった700点台。もちろん過去最高だ。

配点上関係ないとはいえ、物理のやらかしがひどいし、

余裕をかましていた数学で、満点を取れなかったのはご愛嬌だ。

やっぱり神様はいたんだ。この一年を見てくれていたんだ。

というよりは憐憫の情、いや危機感だろう。

ここで落ちたら、こいつは間違いなく反社会的行為や猥褻事案をやらかすと

いずれにせよ、鬼門を乗り越え、私はほっとした。

 

出願時、防衛医大の最終結果は、まだ分からなかった。

しかし、他のすべり止めは受けなかった。

センターで+30点の貯金ができていたからし、

何より今更、他の大学に行く気はなかったからだ。

しかし。

受験の神様は、そんなに甘くはなかった。

 

二次試験で躓き、女神に出会う。

ついに迎えた二次試験。

一年ぶりの京大。

最初の科目は、得点源の数学。

全6問中、悪くても3つは完答して、勢いをつけたい。

そんな初っ端の数学で、まさかの0完(6問中)。

やってしまった。

センターの貯金は吹き飛び、借金生活だ。

 

友達も同じ様子だ。

あまりのショックに、言葉が出ず、飯すら喉を通らなかった。

センターを倒したのに、まさか得点源の数学で、大失敗してしまうなんて。

 

落ち込んだ私は、ついに開き直り、ある蛮行に出た。

ホテルに戻り、桃色有料ビデオを見たのだ

勉強を一切せず、大人のビデオを見まくって、すっきり爆睡。

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草なぎ剛がホテルの有料ビデオに使った金額ww 中居正広の暴露に驚き : 銃とバッジは置いていけ

たしか1000円だったと思います。

 

そのおかげか、翌日の英語は、ほぼ満点だった。

物理は相変わらずダメだが、化学はそこそこ。

数学次第だが、果たしてどうか。

合格発表までの2週間は、とても長かった。

 

合格発表の日。

受かっても落ちても、けじめをつけよう。

というか、去年みたいに自宅で一人レタックスを見て、涙するのは耐えられない。

そう思って、合格発表を見に行った。

 

結果、私は合格していた

 

自分の合格番号を見つけて、やったー!と叫び、胴上げされる。

そんな光景ではなかった。

あ、(番号が)あった。

ただそれだけだ。

 

あれほど苦しんで、病気とも闘って、

これ以上はできないという限界を超え、全てを犠牲にして、

ただがむしゃらに勉強してきた。

頭の良くない私が京大に受かるには、そうするしかなかったからだ。

ここまでやった俺が受からなかったら、一体誰が受かるんだ。

受かって当然だ。苦しめやがって。やっと倒してやったぞ。

当時は本気で、そんな気持ちだった。

 

アメフト部に拉致されかけ、先に京大生になっていた友人たちと会った。

帰りが深夜になり親に怒られたが、喜んでくれた。

去年亡くなった祖父方のばあちゃんは、泣いて喜んでくれた。

 

後で知ったことだが、その年の数学は超難化していて、合格者でも平均3割しか取れていなかった。

あの絶望の夜、ホテルで見た女性(女優)が誰だったかは、思い出せない。

しかし私は、彼女にとても感謝している。

彼女こそが、受験の女神だったんだ。

今ではそう思っている。

 

受験時代の終わり、人生最大の決断。その後。

人生最大の決断。

そして、二次試験の前、実は防衛医大も受かっていた。

まさかあの面接で受かるなんて。

正直に言ってよかったんだ。

同時に、私の心の中で、迷いが生じた。

防衛医大なら、学費はタダで給料をもらいながら医者になれる。親孝行もできる。

 

でも、全寮制で、自由はたぶんないだろう。

さらに卒業後9年は、自衛隊関連の病院で働かなければならない縛りが付く。

抑鬱病で心身ともに限界だった私には、これ以上厳しい生活、勉強ばかりの日々を送ることは、想像できなかった。

一瞬でいい。憧れの京大生になり、自由を享受したい。

何よりお前が浪人して苦しんできたのは、京大に入るためじゃなかったのか。

初心忘れるべからずじゃないのか。

 

家に私一人の時。

防衛医大の担当者から、電話がかかってきた。

「おめでとうございます。どっちにされますか?」

私は迷っていた。心に引っ掛かりがあった。

そのとき、両親に相談するので一日待ってくださいとでも、言えばよかったのかもしれない。

 

しかし当時の私は、それをせず、一瞬ためらった後、防衛医大に断りの言葉を言った。

勿体ない気もした。

でももう、勉強やしんどいことは、こりごりだったからだ。

例の元友人のことも少し影響した。全くもって馬鹿だ。

 

両親に、防衛医大は断った、京大に行かせてくれと頼んだ。

両親は黙って、承諾してくれた。 

 

その後。元友人との再会。今に至るまで。

大学生になった後、元友人とは、一度だけ飲んだ。

あの時は済まなかった、と言われた。

私も、悪かったと言った。

 

例のブリグリ似の彼女とはその後、別れたらしい。

私にとっては、(あんな性悪ブス女は)もはや完全にどうでもよかった。

 

10年後。

3人組の一人が、山の事故で亡くなった。

その葬儀で、彼と再会した。

「もしかして、zohbey?」

悲しい場面だったが、プチ同窓会にもなった。

みんな変わっていなかった。

彼は無事、医者になっていた。

私は愛知の自動車部品メーカーで、サラリーマンエンジニアをやっていた。

彼は岐阜にいるらしい。

近くにいたんだな、一度飲もうと言われ、番号を再度交換した。

Facebookの申請も来たが、承認する気には、どうしてもなれなかった。

それ以来、彼とは会っていない。

今後ばったり、会う機会があるかもしれない。

その時は、楽しく飲めるのだろうか。

会ってみないと分からない。

 

大学生活はというと、

せっかく京大生になったのに、周りは男ばかりで出会いもろくになく、

相変わらず女の子と話すのが苦手で、彼女ができたこともあり、

合コンは2回しかしなかった。

受験生活で追い込みすぎた私は、燃え尽き症候群になった。

抑鬱病は、徐々に良くなっていたが、完治することはなかった。

何より大学で自由を享受しすぎて、何をやりたいのか分からなくなり、大学院を中退。

紆余曲折の末、嫌いな物理で飯を食う羽目になった。

人工臓器や人工骨ではなく、世界中で農業を楽にする機械を産み出すために、日々奮闘中だ。

 

そんな中、京大時代の悪友に誘われ、

激務の合間を縫って、訳のわからないブログを細々と更新している。

 

そんな未来を、あの純粋で燃えていた受験生時代には、

到底予想できなかった。

 

その決断が正しかったのか間違っていたのかは、分からない。

でもこれできっと、よかったんだ。

何かしら誰かの役にも、立てているだろう。

ブリグリのボーカルよりも、可愛く優しい奥さんを、もらうこともできた。

きっと、選んだ道が、正しい道なんだ。

 

 終わりに。受験生たちに言いたいこと3つ。

 1.試験は受かった方がいい。だから全力を尽くすべき。でも落ちても、自分の大切な財産になる。

大学受験は、とても大変な試練だけど、単なる通過点でもある。

受かっても落ちても、死ぬわけじゃないし、その後の人生が決まるわけでもない。

社会に出たら、学歴なんて関係ない。

むしろ邪魔になるときさえある。

だけど、一生懸命頑張ったあの経験は、人生の大事な財産だ。

あのときあれだけがんばったのだから、今後も乗り越えられると。

 

どうせやるなら、受かるように全力を尽くすべきだ。 

目標達成のため、自分の限界を突き破って、死力を尽くす。

そうしたとしても、無情にも合否は分かれてしまう。

 

だって合格したい。落ちたい人間なんていない。

でも、落ちたら落ちたで、得るものもある。

 

私自身、現役のときより、苦しんだ浪人の時の方が、色々考え、顧みて、人間として成長できた気がする。

そう思わないと、やってられないんだけども。

 

 失敗しても、次に活かせばいい。

たとえ受験が終わったとしても。

闘うステージは、この先たくさんある。

 2.なぜ大学に行くか。カッコいい理由とヨコシマな理由を持っておこう。

受験勉強は苦しい。

でも大人になって思うのは、

目標が明確で、答えのある問題ばかりを解いていた当時の方が、

ある意味楽で、充実していたということだ。

そんなことを受験生に言ったら、怒られるだろうけど。

 

なぜ大学に行くのか。なぜその学部、学科に行くのか。

勉強に疲れた時は、少し考えてみるのも、いいかもしれません。

 

理由なんて、何でもいい。

カッコいい理由だけじゃなくていい。

ヨコシマな理由の方が、強いモチベーションとなるのが人間だ。

両方あったら最高だ。 

 

3.迷うことは悪いことじゃない。でも決めたら迷わず走ろう。選んだ道が正しい道だ。

何がやりたいのか、分からない。もしくは一つに絞れない。

未体験のことを想像するのは難しい。

だから悩む。

でも、悩むことは悪いことじゃない。

思い切り悩もう。いろんな人に相談してもいい。

でも、最後に決めるのはあなただ。

 

そして、一旦決めたら、あとは走り続けよう。

しんどいこともたくさんあるだろう。後悔することも、あるかもしれない。

でも、それでいい。

ないものねだりや、「隣の芝生は青く見える」のは、当たり前だ。

最終的には、あなたが選んだ道こそが、正しい道なのだから。

 

 

というわけで、受験生のみなさん。

今や三角関数すらまともに覚えてない自分が、昔の話で偉そうなこと言ってすいません。

今の私に、あの時の1/100でも根性があればと思いますが、もう二度とあんなことできない。

ここまで来たら、自分のベストを尽くして、自分を信じて、頑張ってください。

このしんどさからも、もうすぐ解放されます。

あと少し、もう一踏ん張り。

応援しています。