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ぞうブロ

サラリーマンエンジニア象の、本格エッセイという名の妄想寝言。

不惑を控え、異動願を撤回し、それでも僕は設計者で生きていこうと決めた。

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農機具の会社に転職し、ぶっつけ本番で設計の仕事を始め、はや6年。キャリアなきキャリア採用だと、自虐しながらもがく日々。

しかし、ふと後ろを振り返ると、小さな轍ができていた。キャリアとカッコをつけるには、あまりにしょぼいものだけど。

 

普段誰も褒めてくれないので、そのキャリア()を回想しつつ、自分で自分を褒めてやろうと思う。面倒な仕事が落ち着いて、一杯飲んで、いい気分だし。  

 

 

新機種開発という名の地獄。

設計の仕事には、大きく分けると2種類ある。

一つは、新製品を世に出すための、新機種開発。もう一つは、世に出た製品の不具合を直す、市場問題対応。中途入社後、私は一貫して、新機種開発のチームで仕事をした。

 

覚えたてのCADでの複雑で細かい検証。嫌みったらしい同僚。カーテンが締め切られ、常に一定の照明が当てられる、季節感どころか昼夜さえない事務所。

キーボードの音しかしない静寂の空間を切り裂く、けたたましいピッチの着信音。恐る恐る出ると現場からの呼び出しだ。試作品でミスがあった。

「おい!何やこれ!すぐ見に来い!」

 

設計なんて嫌だ。技術職なんて辞めたい。しかし、場所と給料で転職したので、簡単に辞めるわけにもいかない。そもそもそんな愚痴を言う暇もなく、必死になんとか食らいつくしかなかった。

 

入社4年目。紆余曲折の末、ある派生機種の開発主担当を任された。いわゆるマイナーチェンジとはいえ、花形といわれる仕事。出世への登竜門だ。しかしそこは、地獄だった。

 

マシンを丸々1台担当することの難しさ。機械要素はもちろん、材料、油圧、電気、制御。そして市場での使われ方。全て知ってないと、設計どころか、会話すらできない。力不足だった私は、早速壁にぶち当たった。

 

周りは敵だらけだった。現場の評価部隊は分からないことを聴いても教えてもらえず、少しでもミスをすると、試作品を床に叩きつけられ、机を蹴られて罵声を浴びせられることも、しばしばだった。 今考えても、あれは立派なパワハラだったと思う。

 

アシスタントとして付いてくれた定年間近の爺さんは、優しかった。しかしいつも、耳栓をして昼寝。CADで新居の間取り図を描いているかと思えば、隙を見て社内失踪してしまう。

上司は私を助けようと、爺さんを付けてくれた。しかし、爺さんがいるのをいいことに、仕事が増やしまくるのが玉に瑕だった。現場からの理不尽な罵倒に対して、弱い私と居眠り爺さんでは、あまりにも非力だった。

 

役員報告という名の邪魔。プレ量産立会いという名の公開処刑。何をしてるか分からない部署からの、上から目線の無責任な結果論批判。「絶対に量産を遅らせるな」という総帥の厳命。

そんな中、不具合発生の電話。それは即ち、量産日程を延期しないといけないという、悪夢の知らせだった。

 

ドラマ「下町ロケット」で、バルブの耐久試験を大勢の社員が見守る場面がある。「いけー!」「いけー!」と、まるでラグビーW杯の観戦さながらに。

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「下町ロケット」第9話、「コアハート」に異変!?佃は夢と未来を取り戻せるか? | OKMusic

現実は、そんな呑気なものではない。そんなことをしてるのは、人が余ってるか、死ぬほど暇な会社だ。今の会社では、設計者は基本、性能試験に立ち会えない。試験品を評価部隊に託し、後は祈りつつ、ほかの仕事をこなすしかない。

 

電話で呼び出され、重い気持ちで現場に行く。深夜はもちろん、休日もつぶし、祈りにも似た気持ちで計画し、試作した試験品が、無残に壊れている。

「また壊れたぞ。お前の部品なんか関わりたくないわ」「もっと頭使えよ。なんで作れないの。すぐ作り直せ」「最短日程で持って来い。俺らは帰るけどな」ショックで、そんな言葉すら聞こえなかった。忘れないけど。

 

落胆よりも、怒りしかなかった。後付の批判や結果論なんていらない。答えをくれとは言わない。俺も必死で頑張って考える。だからせめて、一緒に考えてくれ。助けてくれ。そんな日々の、繰り返しだった。

 

結局、その新製品は、計画から2ヶ月遅れ、なんとか量産化できた。

文字通り、血と汗と涙にまみれたマシンが、ラインオフしたとき。カタログで、自分の憎らしく愛しいマシンが、カッコよく紹介されているのを見たとき。そして、youtubeで、自分のマシンがお客様に使ってもらい、活躍しているのを見たとき。私は、気恥ずかしさと嬉しさで、いっぱいだった。

今のところ、そのマシンは、市場で問題を起こしていない。それがささやかな誇りだ。

 

量産化を見届け、私は上司に直訴した。いわゆる「花形」である「新機種開発」の仕事ではなく、代わりに「市場問題対応」をやりたいと。時間とプレッシャーに追い立てられ、現場の馬鹿野郎どもに罵倒されるのが、苦痛だったのだ。もうあの地獄の日々は、こりごりだった。

その希望は、ほどなく叶った。運が良かったのもあるが、きっと死相が出てたんだろう。

市場問題対応という名の地獄。

 

しかし、地獄から逃げた先は、またも地獄だった。

市場問題対応の仕事では、新機種開発のように、量産日程と未知の難題に追い立てられるプレッシャーはない。いわば新機種開発の尻拭い。戦場に埋められた地雷を探し、処理する仕事だ。仕事は多岐に渡る。

リコール対応という、国および社内からのサンドバック。改善要望対応という、生産ラインからのストレス発散の捌け口。コストダウン対応という、営業からの焼け石に水。法規対応という、関連省庁のご機嫌取り。おまけに、韓国メーカー転注対応というムンムン案件まで現れる始末。

 

一番きついのは、敵が増えたこと。現場の評価部隊に加え、品質保証部がログイン。「俺たちは、お前らの尻拭いをさせられてるんだ。お前らのミスのせいで」親でも殺されたかのような怨念を、全く隙の無い後付け評論で、ネチネチとぶつけられる。それら全てを、設計担当が一人で受けないといけない。たとえそれが、評価部隊のミスであってもだ。

 

当の評価部隊は、相変わらずヤクザだ。いわゆる花形のハードな仕事から「逃げ」、市場問題対応に「落ちぶれた」私を、より舐めてかかってくるようになった。

「お前の打ち合わせなんて、出てる暇ない」「お前の部品なんて、試験してる時間ない」それは、私にとって、屈辱だった。悔しくて眠れない日もあった。相手の奴らに対してなのもある。しかし一番は、新機種開発のしんどさから逃げてしまった、弱い自分に対してだった。

 

上司にぶつけた異動願。

転職して5年。市場問題を始めて1年。だましだまし設計の仕事をしてきたが、もう限界かなと思った。 私は上司に、異動願を出した。

表向きは他部署の仕事がしたいと書いた異動願を渡し、別室での2者面談で、私は思いのたけをぶつけた。設計の仕事が辛い。自分には向いていない。評価部隊のDQNや品質保証部のインテリヤクザとは、一緒に仕事をしたくない。

上司は黙って、私の情けない訴えを聞いていた。そして、これは一旦預かっておくから、もう一度頭を冷やして考えてみてと言った。考えを変える気なんて、さらさらなかったけど。

 

しかし、しばらくたったある日の夜。私はふと思った。設計の仕事が辛いのは、正面からぶつかって困難を克服しようとせず、逃げ回っているからじゃないのかと。

思えば、DQNやインテリヤクザ達は、仕事には熱かった。彼らにその辺を、見抜かれてたんじゃないか。だからあんなにキツく当たってきたのかな。

 

他人や環境は、そう簡単に変えることはできない。だけど、自分のことは、少しずつ、変わっていける。まず自分が変われば、相手も変わっていくんじゃないかと。

 

今、異動し、設計の仕事から逃げても、さらに別の壁にぶつかり、一生逃げ続けるだけの人生になってしまうんじゃないか。大学院を中退し、逃げてしまった、あの時の惨めで情けない思いだけは、絶対にしたくない。

 

数週間後。再度設けられた、上司との二者面談。私は言った。色々考え直し、ここでもう少し、頑張ろうと思います。異動願を取り下げます。すみませんでした。

そうか、じゃあこれはなかったことに。よろしく頼むぞ。そう言って、上司は異動願を返してくれた。異動願を出されたのは初めてだった、びっくりしたよと、笑っていた。

 

それでも僕は、設計者で生きていこうと思う。

あれから1年。気づけば来年40歳。私はなんとか、持ちこたえている。

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ふと昔の資料を見つけると、ああこんなことで苦しんでいたのか、と笑える。今の自分なら、もっとこうするのになと。少しは、成長できたのかな。苦しんできたことは、無駄じゃなかったのかな。

 

散々イジメられた、現場のDQNや品証のインテリヤクザは、昔よりましになったとはいえ、今後もそう変わらないだろう。

殴った方は忘れていても、殴られた方は絶対に忘れない。だけど、もはや恨みも無ければ、恐怖もない。もちろん感謝なんてない。

仕事での借りは、仕事で返す。それだけだ。

 

あの日、異動願を撤回して、果たしてよかったのだろうか。その答えなんて無い。選んだ道が正しい道だったんだと、自ら証明するしかない。 

「風立ちぬ」の堀越二郎や、「紅の豚」のフィオみたいな天才設計者には、もう今更なれない。だけど、たとえ3流だとしても、この農機設計の仕事を、頑張っていくしかないんだ。

だって40間近の年齢だと、簡単に転職できないし。養うべき家族も、家のローンもあるし。

 

先日の面談で、私は上司に伝えた。「来年、昇級試験を受けようと思います」と。今まで回避していた壁。上司は、そうか、なら頑張らないとな、と笑った。

 

いつの日か諦めていた、出世街道。早いかといわれれば、決して早くない。遅いかといわれれば、遅いかもしれない。そもそも出世するのはいいことか悪いことか、実は分からない。

だけど、結果がどうあれ、私は逃げたくない。管理職なんてなりたくないなんて、管理職になってから言ってみたい。同時に、自分がされた嫌なことは、絶対人にはしない。

どうせ負けるなら、思い切りぶち当たって、砕け散ろうと思う。仮にそうなっても、自分が負けと認めない限り、負けではないのだから。勝つまで、やればいいのだから。3回の受験制限があるけどね。

うまくいかなくてもやったことは、

全部将来の自分のプラスになります

-孫正義-

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おわりに。

とんでもない赤面噴飯記事ができてしまった。翌日恥ずかしくて、消すかもしれません。でも自戒のため、残しておこうと思います。将来、自分はどうなっているだろう。結局設計を辞めてるのかな。それともしぶとく頑張ってるのかな。そもそもこのブログは続いてるのかな。

どちらでもいい。最後には逃げるが勝ちの精神で開き直って、楽しく仕事もブログも頑張ってればいいと思います。

 

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